アントニオーニ: 転換の視線

映画監督ミケランジェロ・アントニオーニの作品で描かれた都市や建築、人物たちを検証しつつ、彼の建築家的視点について論考するエッセイ。

発端

第1章

第1章 みえるものと見えないもの

(2)

1)可視化の手法(『欲望』)

ジェーン やめてちょうだい。その写真を返して。そんなふうに写真を撮るなんて許せないわ。
トーマス そんなこと誰が言ったんだ?僕はただ自分の仕事をしているだけさ。闘牛士や政治家と同じように僕は写真家だ。

映画『欲望』(Blow-Up)1965年

アルゼンチンの作家フリオ・コルタザルの怪異幻想小説『悪魔の涎』*1に着想を得て制作された『欲望』*2は、原作のパリから映画化に際しロンドンに舞台が置き換えられた。主人公のトーマスは、都市とモードを撮る売れっ子写真家。彼は狩人のように当時の最新型ロールス・ロイスのオープン・カーに跨り獲物(写真の対象)を求め衝動的に都市ロンドンを駆け廻る。ここで提示される問題は彼の介在するオブジェクトと作品(写真)に対する意味づけだ。彼は、収容所のホームレスや荒廃した街の一角を背景に撮影された男の姿をカメラのフレームに切り取るという行為により都市の断面を「現実」として具現化しようとしている。彼は自分自身が知覚しうるもののみが現実であると信じ疑わない。

彼の思考はシャッターを切る以前に(シャッターを切る瞬間まで)肉眼で認識されたオブジェクト(対象)が直感によりもうすでに意味づけられ、叙述に結び付けられている。そしてその行為が現実の写し撮りだと確信している。同時に、貧困や荒廃した街と対峙するかのような対象的なモードや商業写真にも抵抗がない。多分、彼自身、感性が受け入れるものなら対象の価値にはこだわらないのだろう。骨董屋で買い込む飛行機のプロペラや、ライブハウスでオーディエンスが群がるロックバンドのギタリスト(ヤードバーズのジェフ・ベック)の叩き壊したギターのネックをいとも簡単に街中に捨て去るシークエンスは、芸術=モノの価値に疑問を投げかける一幕と言える。そう、トーマスは「もう、この街には飽き飽きした」と対象を消費して行くだけの虚しい行為に気づき始めてもいる。(ライブハウスから街中のシーンの動画

特に、『欲望』におけるアントニオーニの都市表現は秀逸でフィンランドの建築家ユハニ・パルラスマ*3も自著においてアントニオーニの建築物(もちろん、都市空間も含む)への並々ならぬ関心を指摘しているように、映画の冒頭にアリソン&ピーター・スミッソン*4設計の上方に伸びる直方体の現代建築(1964年完成のエコノミスト・ビル)に仮装学生運動家ラグ・ウィークたちの姿を重ね合わせ象徴的に描いている。近代から現代に変貌しつつあるロンドンの建築や新しい色彩やデザインの溢れるスウィンギン・ロンドン*5と呼ばれる当時の風俗をサイケデリックな色合いも加え抽象的に再現したスタジオ撮影のシーンはまさに圧巻だ。

ある日、トーマスは、ロンドン市内の静かな公園(マリオン・パーク)で幸福そうな一組の男女の姿を偶然、写真に収める。しかし、女性が執拗にそのフィルムの返却を請うので、単なる逢瀬以上の切迫した何かを感じ取りその事に深い関心を抱くようになる。彼が公園で手に入れた写真は、最初の意図では単に貧苦にあえぐ都市と人間の写真集の結末に対象的に配置されるものだった。ところが、彼はすでに撮り終えた作品の一点の不明瞭な影に注目し、そこから憑かれたようにその意味の探求がはじまる。この時点まで写真家トーマスが追い求め、消費していたのは、いわば哲学者ジャン・ボードリヤール*6の言う「人が最も上手に写真を撮ることができるのは、未開人、貧民、モノなど、それらにとっては他者がもともと存在しないか、もしくは存在しなくなったものたち」*7のようなもので、この気づきが、彼に、これまでは現実の欠落した空虚なイメージを追い求め続けるだけであった「撮影」行為の時点で、すでに意味づけが完結していたのが、更にその先に潜む意味を探るという“欲望”を抱かせることとなるのだ。そして友人の抽象画家ビルの台詞がその先を暗示する。「意味のない寄せ集め、始めはぼんやりと不明瞭なものが、やがて形を成す。一部が見えきて、そして全体が。まるで推理小説のように・・・。」

次回は、その不明瞭で意味のないコラージュ(寄せ集め)から、核心に迫るために取ったトーマスの“手法”と“写真 “そのものの意味について考察する。

*1

フリオ・コルタザル(Julio Cortázar, 1914 - 1984)

アルゼンチンの作家・小説家。幼少期から学生時代までをブエノスアイレスで過ごし、ペロン政権の独裁政治に対するレジスタンス運動に関わった後、1951年パリに移住。実験的、幻想的な作品を数多く残した。代表作は『マヌエルの教科書』、『秘密の武器』(短編集)など。アントニオーニが取り上げた。

*2

『欲望』

1965年制作のアントニオーニによる長編映画。原題Blow-Upのは写真用語「拡大、引伸し」の意。英国ロンドンが舞台の写真家トーマスが偶然撮影した男女の逢引の写真に写り込む背後の謎めいた影に何か犯罪めいた匂いを嗅ぎつけた彼がそこから見出す幻想とも現実ともつかない摩訶不思議な世界。やがて彼にはこれまで見えなかったものが見えてくる。アントニオーニのこれまでの静謐な心理映画とは若干趣の異なるスピード感溢れるミステリー映画。主演の写真家役のデヴィッド・ヘミングス始め、後の名優ヴァネッサ・レッドグレーブとサラ・マイルズ、他に当時のスーパー・モデル、ヴェトルーシュカやジミー・ペイジがレッド・ゼッペリン誕生直前に在籍したヤードバーズなどが出演、ロック、ファッションやサイケ文化のスインギング・ロンドン隆盛の都市や風俗を再現している。テーマ音楽はアメリカのジャズ・ピアニスト、ハービー・ハンコック。

*3

ユハニ・パルラスマ(Juhani Pallasmaa, 1936 - )

フィンランドの建築家および建築理論家。元ヘルシンキ工科大学建築学科教授および学科長。「優れた建築や芸術は時を超越するもの」と述べ、ヘルシンキ市のグッゲンハイム美術館計画への批判的言及など観光消費目的として生み出される現代建築のグローバル化へも警鐘を鳴らす。ノルウェーの若手建築ユニットTYINもその影響を告白している。アントニオーニについては、2007年の自著『The Architecture of Image』(P.115)に詳しく言及。本書は、あくまで「部外者である建築家目線による映画論」(本人談)という設定だが、アントニオーニ以外もヒッチコック、キューブリック、タルコフスキーの映画作品に関する建築や空間、素材、美術論が縦横に展開され映画への造詣の深さを現している。(パルラスマ・インタビューarchi daily/2018年

*4

アリソン&ピーター・スミッソン(Alison Smithson, 1928 ― 1993 / Peter Smithson, 1923 ― 2003)

イギリスの建築家夫妻。1950年代からロンドンの現代芸術研究所ICAを拠点に、芸術家や批評家たちと「インディペンデント・グループ」を結成し活動した。文化や芸術にとらわれない多彩な表現活動を展開し、特に建築では後にルイス・カーンもその潮流に組み入れられる「ニュー・ブルータリズム」というデザイン理念を生み出したり、ポップアートや建築の「アーキグラム活動」への影響をも与えた。代表作の『ハンストン中学校(現在はスミスドン)』(1954年)はアントニオーニが『欲望』で取り上げたロンドンにある『エコノミスト・ビル(雑誌エコノミスト本社)』(1965年)と共に現在も使用中。建築論や都市論の翻訳書も多く出版されている。

*5

スウィンギング・ロンドン(Swinging London)

形容詞のswingingは、「いかす、流行の最先端を行く」の意。スウィンギン・シックスティーズ(Swinging-Sixties)とも呼ばれる。1960年代ロンドンにおけるファッション、芸術、音楽、映画、建築、デザインなどに現れたストリートカルチャー。アメリカ西海岸を中心に勃興した「ヒッピー」文化にも影響を及ぼした。それまでの古くさくて保守的な英国社会に対する若者のアンチテーゼとして出現した社会の既成的な価値観を破ろうとする新しい文化の爆発でもある。主にロンドンのキングス・ロードやクランベリー・ストリートなど大都市の中心部に展開した点が特徴的。(例. ビートルズ、ミニ・スカート、モデルのツィギー、ヘア・デザイナーのヴィダル・サスーンなど)なおスウィンギング・ロンドンの様子は2019年公開の記録映画『マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!』(My Generation/2017)に詳しい。

*6

ジャン・ボードリヤール(Jean Baudrillard, 1929 - 2007)

フランスの哲学者でポストモダンの代表的な思想家。1970年に著した『消費社会の神話と構造』、80年の『シミュラークルとシミュレーション』を始めとするボードリヤールの哲学は、日本のブランド無印良品誕生や、ウォシャウスキー姉妹によるSF映画『マトリックス』(1999年)の背景世界への(シミュレーショニズム理論の)影響など社会、思想、芸術へ多大な影響を与えている。その他、写真評論集『消滅の技法』(1988)や建築家ジャン・ヌーヴェルとの対談『les objects singuliers - 建築と哲学」(2005)など。

*7

『消滅の技法(l’art de la disparition)』(P28)

ジャン・ボードリヤール著/梅宮典子訳 PARCO出版 1997

本エッセイに元づくアントニオーニのドキュメンタリー映画作品『アントニオーニ:転換の視線』(15min)をvimeoにて公開中。(視聴はこちら または下記サムネールをクリック)

『悪魔の涎』含む邦訳短編集
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ロンドンを駆け抜けるトーマス
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廃墟とホームレス
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エコノミスト・ビルと仮装学生運動家
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スタジオ撮影のシーン
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公園の男女
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フリオ・コルタザル
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『欲望』ポスター
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『The Architecture of Image』
『The Architecture of Image』
スミッソン夫妻の住宅論『from the house of the future to a House of today」
スミッソン夫妻の住宅論
『from the house of the future to a House of today」
スウィンギング・ロンドンを描いた『マイ・ジェネレーション』は2019年劇場公開
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『消滅の技法』
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