『日本の家 1945年以降の建築と暮らし』:

『日本の家 1945年以降の建築と暮らし』:

2017.10.24

一人で時間をかけ体系的に見る。日本の建築家たちが、これまで住に対し、どんな実験、挑戦をしてきたか。社会や、経済の変化に呼応するのは必然で、東孝光「塔の家」はポスト・オリンピック(ビートルズ来日)の1966年、黒川紀章「中銀カプセルタワー」は日本列島改造論の年(1972年)。和から洋へのライフスタイルの変化を敏感に読み取ったのも建築家で、それは、浜口ミホ(女性建築家第1号)の「(主人たちだけのものである)玄関や床の間を考え直そう」に重なり、それにハウジングメーカーや、集合住宅が追従。70年代から、日本の建築家たちも「社会の変化や住む(生きる)こと」に対するアンチテーゼを掲げたり一種のアナーキーな挑戦(これも必要だったわけで)を経て、現代では、肯定的に「(社会の)すき間」に入り込むような多様でヴァナキュラーな発想が新しい価値観を生み出している。